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2008年 10月号

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[科学教育Now!]

あらゆる立場から科学を語り合おう

専門家任せではない。あらゆる立場の人が科学について語り合うことから始まる―。
このような理念に基づいて進められる「科学コミュニケーション」。
教育界にも関心が広がりつつある「科学コミュニケーション」の考え方について紹介する。
サイエンスアゴラ事務局 渡辺政隆

昨年までのサイエンスアゴラの様子。
写真は昨年までのサイエンスアゴラの様子。

バラ色の未来像はどこへ

ぼくは一九六〇年代に子供時代を過ごした世代に属している。

六〇年代といえば今やすっかりノスタルジーの対象となっている。では逆に、当時の少年たちは未来社会をどのようにイメージしていたのだろう。真っ先に思い出すのは、イラストレーターの真鍋博が描いた世界。すなわち超高層ビル群とその間を縦横に走る高速道路のイメージだったように思う。

さてそれで、現在の東京を見ると、まさに真鍋博ワールドが実現している。だが、「バラ色の未来」が実現したのかといえば、「そんなことはない」と答える人の方が多いのではないだろうか。たしかに生活は便利になった。それを考えれば、六〇年代に戻りたいなんて思わない。それなのに何が不満なのだろう。

これまで急速な経済成長を支えていた日本の科学技術力は、そこここでほころびを見せつつある。絶対の信頼感が寄せられていた技術面で、偽装や欠陥隠しが露呈した。身の回りには、使い勝手の悪い高機能製品が氾濫している。先端医療技術は飛躍的に進んだが、治療法のない難病はまだまだ多い。いやそれどころか、世界にはいまだに栄養失調で命を失う子供たちが数多く存在する。化石燃料の無節操な消費が原因とされる気候変動も切実な問題だ。

はてさて、科学技術の進展はいったい何をもたらしたのだろうか。科学技術の行く末は、いったい誰の手に委ねられているのだろうか。

理科離れと科学コミュニケーション

理科離れ、科学離れが言われだして久しいが、われわれは今さら科学技術と無縁な生活を送るわけにはいかない。科学技術には、もっともっと活躍してもらわねばならない。もちろん、安全で安心な生活を保証する方向で。

そのためにはどうすればいいのだろう。そもそも、科学離れとは何なのだろう。

ここ何年か、ぼくはこうした問題に取り組んできた。その中で出合ったのが、科学コミュニケーション(サイエンスコミュニケーション)という理念だった。科学の大切さやおもしろさを強調するだけのやり方では不十分。科学に対するアレルギーを取り除くには、科学に対する無関心ばかりか不信感まで煽っている、科学技術とそれを取り巻く情勢の不透明さを払拭しなければならない。これが科学コミュニケーションの理念である。ここで言う不透明さとは、例えば輸入牛肉をめぐる安全基準決定に関する説明不足などである。

科学技術に関しては、これまで、専門家が考えればいいことで、それ以外の人はただ恩恵に浴していればいいとされていた。「悪いようにはしないから、黙ってついてこい」という権威主義が幅を利かせていたのだ。逆にそれが科学離れ、科学不信を引き起こしてきたのではないのか。

あるべき姿としては、一般の人々に対して科学の「専門家」が、もっと積極的に、もっとオープンに語りかけねばならない。科学は万能ではない。だから、分からないことは分からないとはっきりと言うべきである。その上で、みんなで対処の仕方を考えていくべきである。こうした反省から、科学コミュニケーションという理念が登場した。

人は、自然を理解するために科学という方法を発達させ、利便性を追求する必要から技術を開発してきた。科学技術は、ある意味で人類の文化遺産である。そうした遺産を理解し、活用しない手はない。科学の基本それ自体は、それほど難解ではない。多くの人、特に女性の多くが、科学に対して「私は苦手だから」と条件反射のように反応するのは悲しい。

氷雪の世界的な研究者で、名随筆家としても名を成した中谷宇吉郎(1900?62)は、常々、科学はいずれ「米の飯」のようなものにならなければいけないと語っていた。これこそまさに、科学コミュニケーションの最終目標である。

11月22?24日にサイエンスアゴラ

科学を米の飯のようなものにするには、まず、科学を取り巻くバリアーを取り除く必要がある。そのための一環として、われわれは2年前から、科学と社会のあり方をオープンに語り合う場を設けることにした。それが、11月の3日間、東京・お台場の日本科学未来館とその周辺で開催するイベント「サイエンスアゴラ」である(アゴラとは、古代ギリシア語で、「広場」とか「集会」を意味する言葉)。

サイエンスアゴラは、科学技術と関連があってすべての人に開かれた企画ならば何でもオーケー(ただし偽科学や宗教、商業行為はダメ)という精神で、言うなればごった煮的な集会である。大きな広場で、種々雑多な集まりが同時に開かれる。

具体的には、シンポジウムあり、科学ショーあり、ワークショップあり、ブース展示あり、セミナーあり、報告会あり、サイエンスカフェありといった具合である。そもそも、通常は各地でバラバラに実施されている多様な科学イベントを、1カ所で3日間に凝縮して開催してしまおうという企てなのだ。今年も11月22日(土)?24日(月・祝日)の三連休に同じ会場で開かれる。

近年、全国各地に「科学の祭典」というイベントが広まり、活況を呈している。そこに行けばさまざまな科学実験ショーが見られるし、科学工作などの体験教室にも参加できる。そうしたイベントとサイエンスアゴラとの最大の違いは、科学の楽しさを「伝授」することが主目的ではなく、前述の科学コミュニケーションの理念に立った「対話」が趣旨である点にある。むろん、科学の楽しさを伝えることは大切である。しかし、それだけでは不十分と考える。たとえ科学を楽しいとは思わなくても、科学の大切さとその功罪を正しく理解することが重要であるからだ。

誰が科学について語るのか

科学の専門家が積極的にオープンに語りかけるのが科学コミュニケーションの基本理念である。ただし専門家任せではいけない。あらゆる立場の人が、それぞれの立場から科学について語り合ってこそ、理念は達成される。そうした機能を果たす人は、科学コミュニケーターと呼ばれている。専門職ではなくても、さまざまな立場の人がこの機能を担っている。むろん、教師だって。

著名な科学者の自伝や評伝などを読むと、科学者になる道を歩んだきっかけとして恩師との出会いをあげている例が多い。例えばノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんも、小学校時代の担任から与えられた影響をあげている。

米の飯としての科学の味わい方を最初に教えるのは、親と学校の先生なのである。その意味でもまず、学校の先生たち、理科担当以外も含むすべての先生たちが、科学に対する苦手意識を払拭してほしいと願っている。

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