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2007年 12月号

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[発見!暮らしのなかの科学]

24 時間の命 生きている墨の秘密と墨汁の物語

[発見!暮らしのなかの科学]イメージ

お経をはじめ、多くの文学作品や書画、さまざまないにしえの文書……。
何百年、何千年も前の記録を、私たちが目にすることができるのは、墨があったからこそ。
昔に比べて墨と筆の役割は小さくなりましたが、まだまだ現役です。今回は、墨が支えた文化と墨作りの技術に目を向けてみましょう。


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墨の種類や濃さによって、微妙な色の違いが生まれる。
左から、青煙墨、油煙墨、松煙墨で書いたもの。

学問や文化を支えた文房具としての墨

もうすぐ冬休み。お正月を前にして、書き初めの課題が出る学校も多いことでしょう。伝統行事としての書道に親しむこの機会に、墨や墨汁にも目を向けてみましょう。

墨は、今から約1900 年ほど前、漢の時代に中国で作られたといわれています。そして、墨が朝鮮半島を通って日本に伝えられたのは、大和朝廷の時代(4世紀〜7世紀半ば)とされ、610年ごろに製造方法が伝わったという記録が残されています。それ以来、都の置かれた奈良が、墨作りの中心地となりました。

当時、奈良には次々とお寺が建立され、多くの教典が必要になったほか、統治のためのさまざまな文書作成のため、墨の需要が広がりました。それ以来、万年筆などが登場する明治時代までの千数百年もの間、墨と筆は、代表的な筆記具として使われてきたのです。

江戸時代には、墨と筆をセットにして持ち運べるようにした、矢立やたてという道具が使われるようになりました。商人が帳面と矢立を持って得意先を回る様子が、今でも落語などで語られます。墨と筆は筆記具として、当時の暮らしに欠かせないものであり、記録のほとんどを担っていたのです。

成分はすすにかわと香料の3つ

真っ暗で何も見えない闇を「墨を流したような闇」などと言うように、墨は「黒さ」の象徴ともいえるものです。その黒さは、煤の色。煤とは、有機物が燃えるとき不完全燃焼によって出る、黒い炭素の微粒子のことです。ろうそくの炎に耐熱ガラスの板などを近づけると、黒い粉のようなものが付くことがありますが、これが煤です。墨には、松の木や植物油などを燃やして集めた煤が使われています。

しかし、これだけでは私たちが手にする、墨の塊にはなりません。また、水に溶けて黒い液にもなりません。そこで必要なのが、膠です。膠は、「煮皮」とも書き、その文字の通り牛や馬、羊や鹿などの皮、骨などを煮出して採れる成分です。人類にとっては古くからなじみのある材料で、約5000年前のエジプトで、接着剤として使われていたという記録があります。膠の主な成分はタンパク質なので腐敗しやすく、墨の製造は比較的気温が低い10月から4月ごろに行われます。

もともと膠のにおいは、人にとって快適とはいえないものなので、これを抑えるため、墨を作るときには麝香じゃこう龍脳りゅうのうなどの香料を加えます。墨をすると、独特のにおいがしますが、これは香料のにおいなのです。

煤と、熱を加えて溶かした膠、それに香料を混ぜ合わせると、餅のような塊になります。これをさらによく混ぜ合わせ、膠が固まらないよう、手の温もりで暖めながら、丁寧に練っていきます。すると、粘土のように滑らかで、触るとふわふわした感触の、まるで「黒いパン生地」のようなものができます。

こうしてできた墨の「もと」を木製の型に入れ、押し寿司のようにぎゅっとプレスして形を作ります。型には、銘柄などの文字や絵が彫り込まれていて、プレスすることによって、その図柄が墨に写ります。

このようにして墨の形が出来上がりますが、この段階では水分を含んでいて柔らかいので、灰の中に入れて、ゆっくりと水分を吸い取らせ、予備乾燥をします。そして、形を整えて30〜60日間、自然乾燥。その後、表面を磨き、文字や模様の部分に彩色をして出来上がりです。

すった墨は「生もの」1日で使い切ろう

煤の1粒の大きさは、10nm(1mmの10万分の1)〜1μm(1mmの1000分の1)程度です。水との親和性は低く、水に煤だけを入れてかき混ぜても、混ざらないばかりか、しばらくすると底に沈んでしまいます。そこで活躍するのが膠なのです。膠は水に混ざりやすいうえ、煤の粒を包み込み、その一つひとつを水の中に均一に分散させる役目を果たしています。

すったばかりの墨を水で薄めて顕微鏡で見ると、煤の粒が振動するように動く「ブラウン運動」が観察できます。この動きが見られるのは、その粒子がとても小さいことを表しています。しかし、24時間ほど経過すると、タンパク質である膠が変質したり、腐ったりしてしまいます。すると、煤の粒子が集まってだんだん大きな塊になり、ブラウン運動は起こらなくなります。こうなった墨は、色も書き味も悪くなってしまいます。ですから、書き初めの練習をしていて、「また明日書こう」と、すった墨を翌日までとっておいたり、余った墨に翌日水を足してするのは、おすすめできません。

それにしても、「品質がいい状態は24 時間」なんて、まるで「生もの」のようですね。

墨汁はなぜ長持ちするのか?

墨が短命である一方、墨汁は、数カ月〜1年以上も保存できます。それでも、質が落ちないのでしょうか? 墨汁は、墨とは違うのでしょうか? 

墨を変質させる原因が、膠の腐敗と、煤の粒子が集まって塊になることであるのは、すでにお話ししました。そのため、長期間保存する墨汁では、この現象が起こらないようにしなければなりません。

そこで、膠の腐敗を防ぐために防腐剤を使用したり、煤の粒子をより細かくしたり、安定剤を使用するなどの工夫が重ねられてきました。そして現在は、煤の代わりに粒子の大きさや形が安定した炭素の粉が、膠の代わりにポリビニルアルコールという、洗濯のりや接着剤などに使用される合成樹脂が用いられています。腐ることがなく、店頭に置いておいても3年くらいは品質が安定していて、煤の成分が塊になったり、底に沈んだりしないように作られています。

ひとくちに「墨」といっても、とてもたくさんの種類があり、煤の原料や膠の種類、作り方やすり方、そして製造してから経過した時間などで、微妙に色合いが変わるのが不思議なところ。「黒」にもいろいろな「黒」があり、美しい色を求めて、多くの墨職人が工夫を重ねてきたのです。時には、何種類かの墨をすって、色合いや書き味の違いを楽しんでみてはいかがでしょうか。

[発見!暮らしのなかの科学]イメージ
材料の煤と膠と香料を混ぜてよく練る。
この後、型へ入れて成形する。

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